20230910書き直しました。
昔の話しです。
社内のインテリアデザイナーは私の大事なパートナーでした。
デザイン室長との雑談で、室長は「苔」が趣味だというのです。
皆様、「苔」ですよあの「苔」。
松の木の下にはえてるジメッとしたやつですわ
群がる蚊を払い除け雑草を抜くときに傷つけたら怒られる、あの面倒くさいやつですわ
それが、「美しい」と室長はのたまわれるわけです。
変わってますでしょ
私の社内営業の辛い日々も少しはご理解いただけましたでしょうか
京都の嵐山の奥深く、四条に通じる渡月橋よりずっと奥の竹林の先だったと記憶しています。
東山文化とは真反対の、詫びサビの世界を通り越して、天狗や山賊が跳梁跋扈しても不思議ではない、真夜中ならとても歩けない、寂しいところだったとおもいます。
風の音にもビクッとするわびしさ、まっ暗なところに、あの祇王さんが庵をむすんでいたわけです。
本当に、頼りは月明かりだけだったでしょう。
千年も前の話し、清盛の寵愛が冷めた、「白拍子」とはいえ
月のぼる東の華やかな舞台から、月沈む西のはてまでわざわざ追いやるとは、冷たすぎるで、やりすぎやで〜
当時の宮廷文化は太陽が中心ではなくお月さまが大事。洗濯物を干さなかったのでしょうか
当時のお公家様たちは内心、可哀想な白拍子に同情的ではなかったでしょうか
評判悪いで清盛さん。責任とらんかい。
あんな月の昇るところから、こんな月の沈む地の果まで、か細い人を追いやって
京の西の果て。
そこに苔があります。
祇王の頃は庵だったのでしょうが
いまは竹林に囲まれた、そぞろ歩きで7〜8分はかかる広い苔の庭園になっています。
デザイン室長もいってたな、苔は1700種類もある。
それぞれに趣がある。みたいなこと。
確かに陽の光を浴びた苔の庭園は、緑が幾重も折り重なり深みがあります。
見るものをあきさせません。
まだいる。
通り過ぎた外人さんのグループがまだ同じ場所で苔の庭園を見ながら感嘆しあっているようでした。
私は英語はわかりません。
でも、そのように見えました。
この苔の光彩を見事に切り取った画家がいました。
あの東山魁夷です。
川端康成に連添って祇王寺を訪れた時に描いた絵が飾って有りました。
コピーでも、充分、光の競演が伝わってきます。
光のオーケストラ
祇王寺には悪いですが、実際の庭園よりもはるかに心に迫りくるものがあります。
何故かといいますと、庭に命がやどっている、まさしく生きて輝いているような、光の躍動感をきりとっているからです
味けない不勉強な言い方をすれば、心眼。
心で描いた絵は現物以上に人の心を打つ
私は絵から「苔」の真価を知りました
結構足が疲れましたが、いまでは素敵な1日となりました。
それと、疎まずにデザイン室長の「苔」への熱い思いをもう少し聞いてあげたら良かったなと、このブログを締めるべきでしょうが、多分いまでも聞かないでしょう。
最後に自己紹介させてください
nao15-0ともうします。
法人相手の営業を25年経験しました。
営業で学んだことは情報を物に変え、物を
お金に変えれるということでした。
情報の宝庫のブログを通じて私の思いをやさしく綺麗に伝えられるスキルを独学中です。
私のブログの特徴は、スキルの実践・練習にあります。
優れた解説書ではありません。
私同様、ブログの質の向上を目ざすあなたと試行錯誤しながらつくりあげて行くブログです。
どうぞ私に、あなたのお力をお貸しください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。