Nao Fifteen love

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失われつつある日本人の作法(型)へのこだわり

                 

日本人が自然に身についている型が、知らず知

らずの間に失われてきているのではないでしょ

うか

 

何故なら、生活する上では「型」と云うワンク

ッションが無い方が.てっとり早いし時短になる

からです

 

堅苦しい例えで恐縮ですが、神社に参拝する時 

に、鳥居をくぐる時には頭をさげる

国際化、時短からではこの行為は理解されず、

不思議な行為として映るのかもしれません

 

または、日本人としてのアイデンティティにこ

だわる方が時代錯誤でおかしいといったご意見

も当然あるでしょう。

 

日本政府が移民政策に舵をきり、益々外国の方

が移住されてくることでしよう。

益々不思議な行為に映るかもしれません。

 

しかし、X(ツイッター)で、外国向けに投稿し

ていると反応の良し悪しが分かります。

 

物珍しいこともあるのでしょうが、日本人の内

面から出てくる型の意味をお伝えしたポストに

は多くの♥マークが寄せらます。

 

例えば、鳥居は結界で、神域に出入りさせてい

ただくので、敬意を表す為のお辞儀です。

といった内面の神への敬意を表す「型」を説明

するわけです。

また、多くの日本人が持っている「無常感」か

らくる、菅笠と白装束で杖という型(スタイル)

のお「遍路」などの行為を説明すると♥マー

クが多くなります。

実際、四国を旅すると多くの外国の方のお「遍

路」さんをお見かけもします。

さらに、テーマとはズレますが拾った財布はま

ず交番に届けるなど

 

外国の方は生活の中での日本人の「型」が不思

議に思われるのかもしれません。

 

確かに、外国のポストを拝見していると、love

とかBeautifull、Happyのような内面を表す言葉

だけで、コミュニケーションの事はたりるやう

です。

意味のない「型」は必要ないか、そもそも存在

しないようです。

 

複雑な内面を表す「型」についてのポストには

まず出会いません

 

鳥居の前でわざわざ立ち止まり頭を下げる日本

人など不可解で永久に理解できないでしよう。

 

当記事ではこの内外のギャップの是非を論じて

いるのではありません。

 

知らず知らずの間に失われつつある「型」は、

水と空気のようなもので、子供の頃から躾けら

れ教え諭されてきたものです。

 

国際社会にはない、失われつつある「型」を1

つでも思い出し

意識し、生かすも殺すも、やはり私達次第とい

うことになるでしょう。

 

最後まで、有り難うございました。