京都 嵯峨野
ねかわくは
はなのもとにて
はるしなん
そのきさらきの
もちすきのころ
[美しく魅力的な文章と感じたこと]
凛とした背筋が伸びる潔さ
[自分にはできないこと]
幼子を残して出家したこと
[引き算の美学]
捨てる美学
弓を捨て、思いを花の下で実践しきったこと
[結語]
美しく魅力的な文章とは生きざまそのもの
みそひと文字が千年近くもいきている
願わくば
花の下にて春死なん
そのきさらぎの
望月のころ
記憶違いあればお許しください
以上です。
[全くの余談と私見]スルーして下さい。
三代目・三遊亭圓歌の「西行」は、西行の恋煩いを交えながら、ことばの面白さを語ってくれます。
知らなかったのですが、日本の仏教だけらしいですね、生きとし生けるもの道草までも命は宿っているととなえているのは
「花の精」と西行の交流を「能」では「西行桜」で演じているらしいです。
芭蕉は西行に憧れ、奥の細道を旅し、「ことば」の世界に生きてこうという人には。水と空気のような人だったみたいです。
その方は身近な京都の嵯峨野で庵を結んだことがある。
関東の人かとず〜と思っていました。
無知は怖いですね、もったいないですね。
余談でした。
以上、ありがとうございました。