エモーショナルライティング ストーリーテリング
20231028更新済
[引き算はやはり難しい]
昨日90歳の
義母の新たな旅立ちの見送りをしてきました。
人間が誰しもたどる道を、身を持って教えてくれました。
でも、自分だけは大丈夫と「秦の始皇帝」のような自分がいます。
[難しい引き算に向かい合わなければならない時期がきたようです]
「ハイ、終了」は必ず来そうです。
イヤですけど。
数字で答えが誰にも、出せないところが難しいところです。
出せても、信じたくないですけど。
[努力目標]
①人は生まれたときから、土に帰るまで人様の助けを借りないとやっていけません。
当然、感謝の気もちは最優先です。
②無責任に遊び呆けるわけでもないですが、
全てにわたってポジティブに受け止めた方が楽しいし、楽しかったです。
③「ハイ、おしまい」の答えが出るまでは、悪あがきをしたい。
道半ばになりますが、打ち込める物事が幸いみつかつているのでささやかですが良い人生で幕を閉じれそうです。
でも、悔いのない人生は、私には縁が遠そうです。
ミニマリストにはなれません。
引き算ができません。
ゴミやガラクタを残して、嫌がれながら去っていくようです。
風呂上がりのコザッパリした自分が今だに想定できません。
[結論]
この期に及んで、やはり引き算の美学は難しいですね。
枯れ木になれない欲張り爺さんの話でした。
旅立中の義母が後ろを振り返り笑ったかもしれません。
以上です。
20230910更新しました。
投稿まで1番手間がかかるのが推敲(すいこう)です。
なぜなら、手間ひまかけても文章を磨き上げた方が、長い目で見ればいい結果が得られる経験上からです。
手間がかかる理由は3点です。
1.翌朝読むと
「何じゃコレは」と稚拙な文章。
とても投稿できない。
単純に文章自体が下手なわけです。
2.はベネフィットが「記事タイトル」から最後の「まとめ」まで首尾一貫していないことに気がつきます。
何処かで寄り道しているか、
本質を曲解(きょくかい)しているみたい。
一体アンタは「何が言いたいんか」ということになります。
Z世代のミズミズしい1本勝負なら好感をかんじます.。
孫が3人いる身では、真っ白な野原でたたずむ、雪をかぶった1本の枯れ木(かれき)で勝負どころをさぐっていくしかありません。
「何が言いたいんか」は枯木の我が身には勝負どころになります。
これが、分かっているつもりですが分かっていない。
ということに、推敲(すいこう)に入って、やっと気ずかされます。
1と2の理由は今回は詳述しません。
3.の理由が今回の記事タイトルのテーマでもあります。
「引き算」ができていないと、枯木にはまずくありませんかということです。
結論から申し上げますと、まだ、「ええかっこしい」なわけです。
あれも知ってる、これも経験したと上から目線がプンプンしている。
未遂ならまだしも、手遅れ。
あ〜またやってしもた。
コレガ最悪。
結構いてません。
こんな枯木。
あれもこれも欲張って盛り込み過ぎ。
やたら文字数ばかりが増え、
真に読者さんが知りたい事に1行も触れていない。
本質自体が掴(つか)めていないか、
折角(せっかく)掴(つか)めているのに欲が邪魔をしているかです。
今回のテーマの引き算の美学になります
書き過ぎて、真に伝えたいことが隠れたり、ぼんやりしていることです。
「いったい何が言いたいんや?」とこうなるわけです。
ただ、これから先が真の私の悲しさで、「わかっちゃいるけどやめられねえ」(昭和のヒットソング)わけです。
自分のエゴとの闘いです。
文章に愛着や思い入れが入り過ぎで、なかなかなムダな文章を削って整理しずらいのです。
実は、これがエゴなんです。
文章の「断捨離」ができていないわけです。
日本伝統の「引き算の美学」に、ほんの0.1mmだけ、かすっている話をさせてください。
私ごときが「引き算の美学」について語る経歴も知識もありませんので、ご興味のある方はGoogleなどの優れた記事をご覧ください。
話をもとにもどします。
要は文章を盛り込み過ぎなのです。
なぜなら、折角考え抜いた、何回も書き直した文章を、我がエゴゆえに削るのはなかなかできないからです。
削る勇気がでないのです。
削るにはもったいない
削るには、しのびない
もう皆様はお気づきでしょうが、自己中(ジコチュウ)なわけです。
読者さんとのコミュニケーション不足ともいえます。
自己中(ジコチュウ)な方は男女共嫌われるからです。
行き着く先は、輪からはずれる。
外される。
読者さんの気持ちを汲み取っていないわけです。
私の推敲(すいこう)は、ほぼエゴでつまずき、グズグズし、躊躇(ちゃうちょ)し、立ちどまる事が多いです。
枯木が、これをやらかすと、人生でなにを学んできたのかということになります。
結論(本質)に向かって不要を削りとり、最大公約数を突き止めていく
読者さん(=ぺルソナ)が、1番求めているものは何か
読者さん(=ぺルソナ)の、求めている頭の中のイメージをいかに文章で具現化できるかではないでしょうか。
イメージを文章で「これとちゃいまっか」とつきとめる。
画像やグラフは補助に過ぎない。
今の私。
あれもこれも欲張って盛り込み過ぎ。
「鏡のような水面に、いっせき投じればよい」
目指す頂(いただき)は遥かかなたですが
枯木の「引き算の美学」に向かって
「一体何が言いたいんや〜」とならないように「削る勇気」を持ちたいと思っています。
どうか、読者の皆様、枯木になっても、こんなエゴの塊ですが温かい目でお許しください。
久しぶりに最後に自己紹介させてください
nao15-0ともうします。
半年で100記事書きました。
法人営業を25年経験しました。
営業で学んだことは、情報を物に変え、物をお金に変えれる。ということでした。
情報の宝庫のブログで自分の思いをやさしく綺麗に伝えられるスキルを独学中です。
私のブログの特徴は、スキルの実践・練習にあります。
解説書ではありません。
私同様、ブログの質の向上を目指されておられる貴方と試行錯誤しながらつくりあげていくブログです。
どうぞ、あなたのお力をおかし下さい。
最後までお読みいただきありがとうございました。