Nao Fifteen love

美しく魅力的な文章の書き方をブログで実践中です

秘すれば花①風姿花伝から見たブログ

  
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       エモーショナルライティング ストーリーテリング

20230910更新しました。

 「風姿花伝」からみて、私のブログはいかにあるべきかと見直してみました。

 幼

 思春

 青

 荘

 熟

 老

 

 「老」まで無事にたどり着ければ御(おん)の字です。

 

 お日様も等しく照らしてくれたはずです。

 結果に文句は言えません。

 

  老いてなお「花」残りしならば、さらにすばらしい人生と感嘆せざるを得ません。

 幼から老の流れは、自然なものです

 

 青の間に、世阿弥の名著にめぐり会えれば幸いでしょう。

 

 死ぬまでに出会わなければちょっぴり残念かも知れません。

 

 何故なら、節目で人は変わる、変らざるをえないということを諭してくれたからです。

 

 体も、心も、考え方も変わります順応せざるを得ません

 

 

風姿花伝」は「能」という枠にとどまらず、節目ごとの人生の処し方について、温かいまなざしで説いてくれている名著と私は理解しています。

 

 

 室町の時代にしては「エーかよく聞けよ」の上から目線はありません。

 伝えるべき相手に寄り添い、共に学びましょう。

 そんな姿勢を感じます。

 

 それでも、私には猫に小判でした。

 青の時に、出会っていたのに残念。

 

 タイミングが合わず読んだだけでスルーしてしまいました。

 

 英語で言えばSEEでした。

 

 とても「花」どころではない愼み(つつしみ)のない人生でありました。

 

 数は自慢にはならない。

 

 1冊でも名著は一苦労。

 

 早すぎてもいけない、遅すぎてもいけない

 

 名著との出会いの難しさ。

 さらに会得の難しさ。

 

 その内の1冊であるのは間違いありません。

 

 1冊でも手におえない。

 

 と言いますのも、背中に経験や失敗という重い荷物を背負いながら本を読みかえさないと、

 

 本当の行間は読みきれないなと私は思っているからです。

 

 行間(作者の背景、人生観)を味わう

 

 また仮にいけたとしても

 

 たとえ理解出来ても、会得できない。

 

 会得できたとしても、実行できない

 

 実行できたとしても、なかなか効果がでるまで我慢出来ない

 

 私の場合は、1冊の名著も真に読みきれないで人生を終わるのかもしれません

 

 本を数ミリかじっただけの人生でありました。

 

 名著と出あえても悲しいかな総論賛成・各論検討中の人生の駒の進め方でした。

 

 話をもどします。

 

世阿弥いわく

 

「秘する花をしること。

 秘すれば花なり

 

 秘せずは花なるべからず、となり。

 

 この分け目を知ること、肝要の花なり」

 

 

 私見

 

 この分け目を知ることが肝心ですよ

 

 ブログを書いてきて私の心を捕えたのはこの一文でした

 

 この花になるかどうかの分け目を知ることが花について肝心なところである

 

 少しかじっただけで、お叱りを覚悟で申しあげますが

 

 ブログでは、秘する「花」の分け目はベネフィットだとおもいます

 

 何故なら、「花」に成るかどうかの分け目を知ることが大事で、

 

 此処ぞというタイミングが大事なわけです。

 

 ベネフィットをどこでいれるか

 

 前か、中か、最後か

 

 タイミングを間違うと「花」にならないわけです。

 

 例えば

 

美しいお嬢様。

 

 迷いにまよってライトイエローのやわらかいシルエットのドレスを選択。

 

 誰もが認める「美しさ」

 

 お嬢様もドレスも「美しさ」は自他ともにわかりきっているわけです。

 

 そこで、「美しい」と言っても「美しい」は余計な花

 

 周りの誰もが「美しい」は自明のことのためすでに「花」ではなくなっているわけです。

 

 しかし、Blogでは誰も気づかなかったサプライズを伝えるのです。

 

 秘すれば「花」の分け目はベネフィットを伝えるタイミングだとおもいます

 

 [お部屋がパット明るくなりましたね]

 

 [インスタ映えしますね]

 

 [会場のため息が聞こえてきそうです]

 

 ドレスを着てお嬢様はどう変わるのか

 

 どんな得があるのかをここぞというときに

 1言そえてさしあげる。

 

 ご本人にさえ気ずかなかった言葉。

 

 サプライズ。

 

 「美しい」は言わない

 もはや花ではなくなっているから

 

 

 お嬢様も、周りも分かっているから言わない。

 

 野暮(やぼ)になります。

 

 誰もがきずかない1言を必要と感じたら伝える

 

 その見極めが大事

 

 肝心かなめの1言

 

 これが秘すれば「花」ということではないでしょうか。。

 

 「花」を見せる見せないは貴方の自由

 

 BLOGなので、最初から最後まで白紙というわけにはまいりません。

 

 どこかで1言決めねばなりません。

 

 決める必要を感じたら、ここぞという見きわめを大事にしてねということではないでしょか

 

 浅学の自分の、誠に勝手な解釈とは思うのですが時を経て

 

 改めて「風姿花伝」の奥の深さに驚く次第です。

 

 

 

 

 私の「なまいき・曲解」に、最後までおつきあいいただきありがとうございました。